小説 砂漠の燈台 2破 1お久しぶりです。 あの手紙からもう一年がたっています。時間の速さに驚きを感じています。 この手紙は高千穂の峰にあるホテルの一室で、神々しい山々を眺めながら書いています。山は今うっすらと緑が灰色にそして透明に変わろうとしているのです。荘厳な朝やけを目のなかに焼きつけながら書こうとしているのです。 この国へ神々が天孫降臨をしたという峰、そこから何もかも始まった、自然と人間が一体となり築きあげられていったこの国の起源の地にいるのです。 私が見ている同じ風景をその人たちも見たと思うとなんだか心騒ぐものがあります。人間はその始まりに帰ることをおじさまは私に教えてくださいました。常に何かを始めるときにはその最初に立て、人間が、いいえこの国の人達はと言う事です。 この一年間は日本にはいませんでした。山藤会長とおじさまに勧められて渡航をしていたのです。世界の自然を見ることで日本の自然を考えるためと言う名目でした。その旅の目的のなかには考古学と世界の歴史の変遷を学ぶという事も含まれていました。地球の、人間の始まりを知ることです。 旅は観光と言うよりその地の歴史を学び、自然の生成を知ると言う事も、私にとっては必要なことで、それらを眺め知ることを主にしたものでした。そして、そこに人間が存在すると言う意味を問うというものでした。 宇宙は百四十六億年前に誕生しています。太陽はその宇宙のちりを集めて大きくなりビックバンをして惑星が作られました。地球は太陽の惑星として生まれました。 最初は二酸化炭素と窒素に包まれた三千度の燃え盛る星であったのです。 何千年も燃え続け、やがて二酸化炭素と窒素に包み込まれた星になりました。太陽の光が遮られ地球がだんだんと冷えるに従い、いくつもの隕石の衝突により海が出来、暑かった星はだんだんと冷えて行きました、太陽の熱で海の水分は蒸発し雨が何千年とふり続いたのです。海は二酸化炭素を光合成で海に溶け込ませて、また、地球の大地は燃えかすを海に流し続けました。 地球に最初に生物が誕生したのは三十七億年前、それが生物と言えるかどうか、九億年前になって海と岩石から生物のDNAが、海に雷が落ち、また隕石が衝突したその光で生まれたのです。それらの生命体は、二酸化炭素によって成長していきました。この地球は雨季と氷河に閉ざされた時間が何度となく繰り返されています。そのために絶滅に瀕した生物はその都度に進化を遂げて行きました。 海を生物の母と言うのもこのような経緯があるからなのです。生物の誕生とともに地球はマグマによって変動し変形していきます。陸地が出来、その陸地は海の上を漂っていたのです。大陸の大移動、地殻変動が盛んに繰り返されていました。 地球が誕生し生成されたのは五十五億年前と言われています。形を持った生物の誕生は五億年前・・・。 地球は二酸化炭素と窒素に覆われ太陽の光をさえぎり生物たちの成長を促進していたのです。生物は二酸化炭素を食べ、酸素を吐き出していました。生物自体は炭素から出来ていましたからそれがあると言う事で繁殖して行ったのです。 生物に取って二酸化炭素はなくして生育出来ないものなのです。 そんなことも学びながらの船旅を続けました。地球の生物の歴史を知り、大陸の、そして、海の役割を知るにつけて自然に少しでも近付くと言う毎日を送っていました。 世界のあらゆる物も、自然の景観も本当に不思議な、考えのなかでは理解できないことばかりなのでした。 自然、その偉大さと変遷を目の前にして驚嘆するばかりでした。あるものは総てこの地球にとっては必然であることを知らされました。 山藤会長とおじさまが進めてくださったこの旅は、人間としての覚醒であったのです。 何と地球の自然は美しいのでしょう、言葉にして表現はできません。 この旅の間、人間の思いはなんと小さいものかと、自然の移り変わりと大きさについつい比較をしていました。 人間によって作られた都市には何の興味を示さず惹かれず、ただただ自然が織りなすその景観に心を奪われていました。自然がその再生を繰り返し作った、人間の手が入っていないその佇まいに何と心を癒されるものなのかと言う思いでした。 人間では考えもつかないその自然が齎す奇跡の連続にただただ目を見張る思いで立ち尽くすだけでした。 文明によって変えられていく、人間の都合で開発されていく、その事が果たして人間の幸せなのかと言う疑問もわいてきました。 太陽系の惑星地球がこの自然を創造したのです。 人間の神秘、命と魂の行方もこの地球の誕生から現在見ると異なるかも知れません、と言うのも死後の魂の存在を明らかにする化学的根拠がだんだんと明るみになっているという現在、繰り返される自然と、そこに生きる人間の魂の変遷、今ある生物は二千万年の命を繰り返しているという事、絶滅と誕生、そこに残る魂の幻想が永遠に続いているという事が今ようやく明るみに出ようとしている不思議。その魂の不滅が解き明かされた時に生物は絶滅をするのかも知れません。汚れた地球を再生するために何千年と言う雨季があり、何千年と言う氷河期があり、そのなかでも生物の遺伝子は生き続けると言う不思議、それはもう神の領域になる事でしょう。それが生息することもできない環境を生き抜いた遺伝子は、新しく進化を伴って誕生して現われるのです。それは今、世界中で土や岩のなかに化石となって歴史が証明してくれています。 それらすべてが人間にとって最良であり、また絶滅にひんする予兆なのかもれません。 自然はただじっとしていて動いていないように思われますが、ものすごい速さで変化を繰り返しているのです。 サハラ砂漠に立っていました。 そこには砂の海が風によってうねり大きな波が打ち寄せて流れていました。そこには刻々と変化する時間がありました。 今、高千穂の峰を眺めていて、その時間をひしひしと感じているのです。目の前で流れるように変わる景色の変化にしばし呆然としているのです。自然と人間が一体と言うなら何かによってまだ繋がっていると言うべきなのかも知れません。例え、別の道を歩いているとしてもこの変化にも人間の心の動きが連動しているという事でしょう。 これは、あなたに対しての私の心が例え別の道を歩んでいるとしても、どこかでまだとぎれてはいないと言う事なのかも知れません。それは自然と人間が一体ということで、人間と人間が目に見えない糸で繋がっているという事なのかも知れません。愛とか恋と言う次元ではなく、先祖を共にする生物としての起源と言うところで繋がっているかも知れません。言い変えれば人間はみんな兄弟、肌の色に関係なくその結びつきは解けないものなのかも知れません。 少し屁理屈が続いているようですね。これも皆、私が世界を見聞してきて感じることなのです。 変わりましたか、重たい女になったと思われますか。 まだ、これは知識が書かしているのです。 おじさまが、私に求めておられるのはこんな屁理屈ではなく、その知識を実践しかみ砕き精査して私の表現でと言われることでしょう。それは新しいものを生む時に大切な知恵を持つことだと。 この一年間、三百六十五日の渡航の体験に興奮して書いているのかも知れません。その見聞をみな私の物にしてと言う強欲の表れなのかも知れません。 東京に帰って、山藤会長は、 「忘れなさい、覚えていて日本と比べる事は避けなさい。忘れても大切なものは心に残るものだ。その残ったものを大切に心にしまっていなさい。それだけで一年の時間は無駄にはならない」 山藤会長は会長室の総ガラス窓から外を眺めながらしっかりとした言葉を私に下さいました。 眼下には高層ビルが形骸化されたように無機質な存在を現わしていました。 人間はこんなところでも生きられる、そんなことを考えておりました。 比較してはならない、と言う事は気候も風土も異なる、自然はその異なるところで存在しているという事なのです。それを環境の個性と言うべきなのかも知れません。世界がどうであれ、日本は日本の風土の上に高千穂の峰に降臨した時から今に至るまで、そのなかで生き文化を作って来たと言う事を忘れてはならないと言う事を山藤会長はおっしゃっておられるのです。 「人間の本能とはどのようなことだと思う」 山藤会長は背を向けておっしゃいました。 「本能とは何かと御尋ねになられておられるのでしょうか」 「ああ、人間が生まれてきた時に持ったものだ」 「たとえば、生きると言う事でしょうか」 「欲心と生命力だが、まだ明らかになっていない本能がある」 「次世代への命の継承・・・」 「それにしては日本人は死生観をなくしている」 「私には・・・」 「死生観なくして子孫を残す事はかなわぬ」 「はい・・・。会長は何を・・・」 「人間は自然と一体でなくてはならないと言ったな、本当に一体なれるものなのだろうか」 「私には分かりません」 「この地球上の生物は多少の進化をしたとは言え、自然の采配のままに生きている。人間だけがそれに反して生きている、そうは思わんか」 「文明とか科学の進歩がと言う事をおっしゃりたいのですか」 「文明が発展し、科学が色々なものを発見し、今がある。その事が果たして人間には必要なことだったのだろうか」 文明により自然は破壊され、科学の進歩により命が長らえられている、その現実を私に突きつけておられる事を感じていました。 「人間が長く生きようとして文明が生まれ、それを担保するために科学が進歩した。人間の我欲のためだけに自然は壊滅的な状態を迎えなくてはならなかった。この地球に人間と言う生物が存在しなかったらもっと美しい星になっていたかも知れない」 私は世界を巡って感じた事は、文明に浴している人達とそれを受けられない人達の格差は非常に大きいと感じていたのです。地球環境の弊害は未開発国に現われ自然の営みのなかにも現われていた事をこの目で見ていたのです。 「いつか可能さんが言っておられた、平等という言葉はすなわち不平等と言う言葉と同義語だと。その不平等のなかでも人は存在し幸せに生きることが出来る、だが、その幸せの次元はどちらが大きいのだろうかと…」 大地を踏みしめ樹木の生い茂るなかを行きかう、風の雨の営みをありがたいと思う事の心には、開発されて今日を生きる人達との差は幸せと言う次元の差なのか。感謝と言う心がそこに当然ある生き方なのではないのか…。 「人間が誕生し何億年も過ぎたころには、皆食べ物を確保するために土地を耕していた。皆同じだった。その頃が、人間が自然と一体で自然の総てに感謝していたのだ。ある時偶然に鉄が現われて農作は異常に生産を増していった。そこに人間とは何かと言う事を考える人達が登場し、宗教の原典が生まれた。生産競争が国家を作り争いがおこり土地を確保していった。国家という起源が始まった。その半端な宗教により人間は堕落した。その堕落が戦争と言う我欲を生んでますます争いは増えていった・・・」 山藤会長は時にしずかにまた激しい口調で言葉を吐き捨てておられた。こころのなかを私に見せてくれていました。私は言葉がなくただ聞きいっていました。 「今の事は、可能さんの言葉を私流に脚色して言ったのだ。栞君、済まなかった、言いたい事を言って少しは楽になった。 ところで栞君の帰国を祝して会を催したいが、可能さんにも来てもらいたいのだが、都合を尋ねてもらえまいか」 「はい。私もお会いしたいと思っていたところです。では早速に御願いをしてみます」 「じゃ、たのみましたよ。人間の歴史が総て戦争の歴史だとは、その戦争のために文明が、科学が進歩したと言うのも皮肉なことだ」 山藤会長は頬をゆがめて自笑をしておられました。 私はサハラ砂漠の砂の流れを思い出していました。 目まぐるしい変化について行くのが精いっぱいで、何もかも受け入れて自分の物にすることに必死でした。こころに余裕などなかったという事です。何のために、と言う疑問もわかなかったという事です。 それでも、時に目の前に広がる林立するビル群を何の違和感もなく見つめる日常になれて行きました。 憩い、それはあなたの事を、そのわずかな思い出を振り返る時間があって生きている実感を持つことが出来ることでした。 その夢、あなたと毎日一緒に暮らし、夕餉の食卓を囲んでその日あった事を話し同じ夢を見ることでした。子供たちに囲まれて大きく育てるそんな平凡な幸せだけを考えていたのです。 こんなことを書いてあなたを責めているのではありません。あの頃、それだけで幸せでしたと言う事です。が、それはかなわぬ事だったからと言って、二人の出会いを、そして、別れを悔やんだりしているのではありません。出会えた、その事を、例えその夢がかなわなくても大切に喜びたいと言う思いなのです。あなたとの出会いがなかったら今の私は存在しませんから。 私の我儘かも知れませんが、時に私の心にあなたを思い興して振りかえらせてください。 私にも心をときめかせて生きた時間があった、その事で勇気づけられ前に進むことが出来るのです。決して後悔はしていません。悲しんだりしません。むしろ喜んでいるのです。出会えたこと…。それが今の私を作ってくれたという事を…。 あなたの故郷、倉敷、穏やかな街並みと倉敷川沿いに並ぶ江戸時代の佇まい、私が十五歳まで暮らした町、心のふるさととでも言えばいいのでしょうか、瞼をつむると鮮明に浮かんでくるのです。石畳に下駄の音、川面に垂れる柳のしずく、もうすっかり冬の気配でしょうか。私は冬の倉敷の町が好きでした。しまい込んだ思いをそっと吐き出すことが出来た空間でした。乙女の空想は尽きる事を知りませんでした。私のなかでは大きく膨れ上がっていたのです。それで本当に幸せでしたから…。私を生んでくれた父と母に感謝し幸せになるのだと決めていたのです。 そんな思いをくれたあなたに、ひと時の喜びに身を置かせてくれたことに出る言葉はありがとうと言う事なのです。 すっかり暮れて、夜の東京はネオンの華が咲いています。何千何万の人達がまだ仕事をしていて、この町は夜も昼もありません。 人間の本能はと山藤会長が問われましたが、本能の一つに成長を続ける生き物だと言う事を感じました。立ち止まることを恐れただただ前に進もうとする本能、本能、そして、進化、が人間を絶滅に導くのだと、おじさまは何時かおっしゃっておられましたが、今その事を少しずつ実感しているのです。 この地球の生物はある一定の時間がくると絶滅をする、そしてまた、新しい生物が誕生する、その繰り返しが定められている事を感じています。 その期間は二千万年とも言われています。人間の絶滅はあと一万五千年、気の遠くなる時間ですが、それは今までの学問で推測されたものです。 人間が生誕して三十七億年、今の人間に進化して五億年、その歳月なかで数えきれない出会いと別れがあったことでしょう。そのなかにあなたと私の出会いも…。ごめんさない、今日はなんだか感傷的になっていて・・・。 お台場の明かりに誘われるように、ワインを少し、そんな時にふと思う事があるのです。 古代に人間の絶滅を予期する様な事が起きたのです。男性が女性に接触することがなくなるという時代があったのです。人間の本能として男女が持っていなくてはならない、子孫への血の継承が止まったのです。女性は困惑しました。嘆きました。その時誰が思い付いたか唇を真っ赤に染めたのです。赤、これは求婚の色です。そうすると男性が…。元の関係に修復されたのです。女性が唇に紅をひくのは偏に子孫を残す本能の行為なのです。 卑猥ですか、でもこの不思議、そのような逸話があることなのです。唐突ですいません。そんな時代を経て今がある事を伝えたくて書きました。あなたを苦しめる為に書いたのではありません。少しあなたをびっくりさせようとして書いてみたのです。 お忘れください。 夜空はしんとしていて澄んでいます。雲ひとつない、晴れた大空が広がっています。街路樹はすっかり紅葉して落ち葉が道路に舞う時期になるのはもうすぐです。 太陽がそれを照らして揺らめくのです。その太陽の光は八分十五秒前の物を私たちは見ているのです。過去の物を今見る、私も時に十七歳に返る、そんな時があってもいいでしょう。夢を見させてください。 お父様に連絡を入れたのですが、こちらにおいでいただく時間がないという事で、山藤会長に告げますと、では倉敷でお会いしようと言う事になり、お父様にも了承を頂きました。 あなたのお父様、今日だけお父様と呼ばせてくださいね。 世界を回っている間はする事が一杯にあったのですけれど、日本へのホームシックで感傷的になった時期もありました。今はその反動なのか、ホッとしているのか心が高揚していてまとまりのない言葉を綴ります事お許しください。 倉敷に出向くまでの一週間は、世界中で集めてきたその整理に費やしました。 山藤会長は総て忘れろと言われましたが、私は総てを吸収することに心がけました。会長の言葉は私へのいたわり、負担を持たせないための言葉として受け取っていたのです。私は自分を追い詰めることで今まで生きて来ました。こころに正直でありたい、今なにをしなくてはならないのか、考える事を辞めませんでした。 何時か、おじさまがおっしゃった言葉が、 「人間は気候が温暖で珍味が豊富で山や海の幸に恵まれていると考える、生きるためにどのように工夫をすればいいのかを忘れるものだ。古代から、日本列島は外敵による侵略もなく、宗教の、民族の争いもなく、時に天下取りの争いがあったと言うだけで、世界から見れば平和を享受してきた。食べる事はどうにか出来ていた・・・。何が言いたいのか分かるかね。それゆえに日本人は骨格小さく背も高くない、維新の時でさえ五尺の小躯だった。平均寿命は五十にも満たなかった。筋肉も頭脳も使わなかったという事だ。ただ現状を守っているだけで良かった。北欧の人達の体格、頭脳の発達に比べれば、総ての点で劣っている。内なる精神を清廉に整えることに関してはそれでよかったが、この日本の国土が世界で一番小さな民族を作ったと言えるのだ」 と、あの作州の湯の郷の宿で聞きました。 生かされるのではなく生きるときに人間は、極寒の大地を耕し、氷河の海に出て食べ物を獲る、それは家族のためでもあり自分の命を永らえさせるためだったのです。また、獲物を求めて大海原にこぎ出していく勇気、どうしたら家族を飢えさせずに笑顔で迎えてくれるかを常に考ながら戦っていたのです。白人の体格はその繰り返しの時間のなかで創られたものだったのです。食べるために戦争をし、そのために厳強な体を作りそれに備える鍛錬を怠らなかったのです。世界は戦争の歴史なのです。生きると言う本能のために逞しいからだが必要であったのです。 私も戦いたかった、精神を鍛錬するために、そして、そのために色々と考えたかったのです。 「人間は考える葦である」 いいえ、人間の本能の一つが考える事だと気付いたのです。 これは自然と一体に生きることとはと問うている時に、自然を都合よく変える人間の傲岸さ、考えのなさの反対語としてそれを本能としたのです。 2 下津井は遠い昔より四国から大坂、京への玄関の港でした。 その名残はいたるところに点在していて何か独特の色とにおいを放っているようでした。 山藤会長と私は羽田から飛行機で岡山空港に着き、会長の傘下の会社からの出迎えの車に乗り、倉敷でおじさまと合流し、 鷲羽山の中腹のホテルに入ったのです。 つるべ落としの夕日は名残の夕焼けを瀬戸の波に遺していました。不夜城のような水島コンビナートの明かり、人と人とのつながりを強固にした瀬戸大橋の姿がそんな夜景のなかに窺えていました。 冬の奔りとは言え温暖な気候のせいか少し汗ばむくらいでした。 お二人の眼差しはそれを見ることもなくもっと遠くの景色を求めておられるように感じました。 そういえば会長は飛行機のなか、車のなかではなにもおっしゃられなくただ瞑目しておられたのです。 豪華な料理 黙々と箸に取り食べておられたのです。おじさまも同じしぐさを繰り返しておられました。 食事が終わり席を変えられ窓際のソファーに腰を落とされて、 「縄文期から一万年の今、これからの人間は何処へゆくのだろうか…」 会長はワイングラスを両の手のなかで温めながらの重い言葉を落とされたのです。 おじさまは御酒をいただきませんが、少しはにかまれて会長を見ていました。そして、 「果てしない夢がここまで広がり、また次の夢を見ようとしているのです。前に進むことが義務付けられているかのように・・・」と小さくつぶやかれたのです。 「全く、人間はこの地球上で生きた屍の遺した物をリサイクルして成長してきた、二億年を生きた恐竜たちが大きくなりすぎて絶滅をした死骸の石油で発展した。鉄も海に溶かされていたものを生物が吐き出す酸素で酸化して人間がそれを使いあらゆるものを創造した。其の素材は総て地球と太陽のもたらしたものだ。今ある地球上のすべてはかつて生きた生物の死骸を持って創られ存在している。それを文明と言う欺瞞で覆い隠そうとしている」 会長は何が言いたかったのでしょう。私にはよくわかりませんでした。 「それにしては、自然の行いに対しての感謝が少ないという事ですか」 おじさまは優しいまなざしを向けられていました。 「人間は恐竜のように大きくなりすぎた。聡身に血液が回らなくなり暴走をするだろう」 「平和が続くことによりその暴走は果てしなく続いて人類の破滅、絶滅を早めることでしょう。文明、それに伴う進歩を進化と言うのなら人間の役割は終わったと言っていいでしょう」 瀬戸大橋をゆく車の光が交錯し流れておりました。 重い空気が漂い、胸が苦しくなっていました。 「可能さん、今日はありがとうございます。時間を空けてくださったことを栞君から聞きました。つまらん相手を申し訳ない」 会長は今までとは打って変わられて頬をゆがめて言われたのです。 「ああ、そんなに言っていただくと恐縮です。この倉敷の真備と言うところに古墳群がありまして、そこへ行っておりました。私の専門ではありませんがなぜそこが栄えたのか関心がありまして」 「そうですか、吉備津彦神社、鬼の城、そして総社の古墳群、倉敷がまだ海の中だった頃には栄えた豪族がいたようですな。それに繋がる真備と言う事ですか」 「よくご存じですね。何があったのか、松山川、今の高梁川ですが砂鉄と関係があると思っているのです」 「それは正しいかも知れませんな。地殻変動が起こり、海底が隆起して、鉄が、その痕跡を探されたのですか」 「砂鉄、蹈鞴の技術はよそから来たと言っていますが、日本独特の製錬技術はあったと考えています。それに鉱物は世界でも有数の鉱山が全国にありました。会長が言われている海底の隆起は真実味を増します」 「日本は恵まれすぎていた。自然はこの民族に平安を約束していた」 「縄文期から一万年、今の東京は・・・。果たして人間の住むところでしょうか」 「生物が誕生してもオスとメスと言う存在はなかった。生物たちは自分の体を半分に分け次へと命をつないでいた」 「雨季が続き、氷河に閉ざされて、人間は両性へと進化していったのですね。そこから爆発的に人間の先祖達は増加しています。それは考えると言う本能と言えばいいのかそれを持っていたという事でしょうか」 「ある意味では創世紀のアダムの胸の骨で女性を作った、は正しいのかも知れない。が、科学的ではないと言う事だ」 「オゾンの幕があったとは言え、気温の差は大きかったでしょう。それで皮膚の色が様々になっていますね」 「その皮膚の色で優劣を争う戦争が…」 「戦いに敗れた人達は・・・」 「劣勢の遺伝子は淘汰され優勢の遺伝子が、優秀な強い遺伝子が交わりより強固な人間を作り繁殖して行った」 「その総ては自然の采配、奇跡とも言えます」 「これから、また奇跡が起こるのだろうか、今の科学は人間の魂まで解明し、死んでも魂は存続すると言う事を立証しようとしている。つまりあの世の世界はあると言う事を言いたいのだろう」 もう、私には分からないことばかりが語られていました。が、何か胸が熱くなり心臓は大きく振幅していました。 「文明は知識がもたらすもの、芸術は知恵が授けてくれるもの」 これもおじさまからの受け売りなのですが、知識ばかりが先行して知恵が追い付いていないと言う感じを、今の社会を生きていて感じることが多いいのです。 「哲学も、文学もいまはない、この競争社会で生きているとそれは無意味なことに映るらしい」 その言葉をつぶやくように言われた時のおじさまの顔は悲しみをこらえているように見えました。 今ここでお二人の会話を聞いていて、人間の不条理を、現状維持と進歩という話題には興味があっても私には入り込む知識がない事を知りました。 向かい合う御二人の心に何があるのか忖度することさえ私には傲慢に思えていたのです。 山藤会長はゆっくりと立ち上がり、窓の外のライトアップされた瀬戸大橋に身を向けられました。 「この風景を美しいとみるのか、鉄とコンクリートの建造物を・・・私には古代に生きた生物の石塔にしか見えんが…」 「そのように映りますか、私にはあの橋がなかったらなんと美しい事かと…」 「歳をとると欲ばりになるようですな。地球に海がなかったらこの地球に生物は生まれなかった。これは懐古趣味と言う感傷なのだろうか」 「いいえ、今、年寄りがブレキーを掛けなくては、先がないこの年寄りが身を張ってでも阻止する、まず戦場で矢面に立つ、その事を真剣に考えています。このままで進むと人間は取り返しのつかないことになりそうだという事です。今、進歩を止め、人間らしい生活を取り戻すか、このスピードで開発するのか、その選択で人間の運命はきまると思っています」 「私は人間が誕生し、皆が石や木の道具を使い土地を耕して食べ物を確保していた時期が羨ましいのだが…皆同じ思いで生きていた、平等だった、夜が明けて日が沈む、そこに心の安らぎを感じていた…」 「便利なものが作られる生活の中で時間の余裕が生まれても、人間にとってはより追い回されることになっている。女性の社会参画で、児童のための保育所は出来ても女性は本当に働く喜びと子供を育てる喜びを感じているのだろうか。女性の自立、社会進出が…。女性は子供を産み育てると言う本来の喜びを知らないのか忘れているのか、それを両立することは難しいことに気がつかなくてはならない。歯車ではなく、本来の姿に戻らないといけない。産業や経済の発展ではなく一人の血を受け継ぐ子供を育てることが人間の絶滅を阻止することなのだと言う事が…」 「ロボットの事を言っているようですね。その世界になればこの地球上には生物は全滅をする。人間はロボットを作りそのロボットに使われ、やがて棄てられる。人間はそれほど愚かだろうか」 「分かりません、だけど進歩と進化が人間を絶滅へといざなう事は・・・」 「いいではありませんか、二千万年前に氷河にとざされて生物は全滅をしている。それは歴史を見ればその繰り返しをしていると言えまいか。遅かれ早かれ人間は絶滅をする、それは何があっても避けられないことだ」 「今のように地球温暖化がどうの、再生エネルギーがと言って二酸化炭素を削減している、生物は炭素によって生かされている事を忘れたのでしょうか。それに人工頭脳を持ったロボットがこの地球を席巻する。それも自然の采配と言う事ですかね」 「今の世界を見ていれば、絶滅による再生の道しか残されてはいないという気にもなる。いまのように、人の心を養うことも、人の道を教えなくて、未来の現実を指し示す物が皆疲弊している世になにを望むことが出来るだろうか。 私が日本の森林を買いあさっているのも、自然の営みを大切だと思う故なのだ。植物は炭酸ガスを吸い酸素を吐き出す、動物はその酸素を吸い生き伸びている、その酸素は太陽に照らされてオゾンとなって地球を覆っている。其の循環を止めてはならないと言う気持ちで、今の自然をそのまま残したいと言うのが私の思いだ。自然が自然として再生するその力を信じたいと言う事なのだ」 山藤会長は少し背をかがめられ溜息のなかでそうおっしゃりました。 自然と人間が一体になると言う事は人間が自然に手を差し伸べてはならないと言う事なのだと感じました。自然が持つ再生の力を信じると言う事なのでした。 焼畑をすることも、森林に雷が落ちて山火事を起こし焼き払うのも、自然が再生する営みの一つなのだと思えました。 自然の営みは総て自然再生のために起こる一つの区切りであると言う事が徐々にわかってきたのです。 「可能さん、この続きはあとでと言う事で、私は行ってみたいところがあるのですが、御案内くださいますか」 「さて、どちらでしょうか、御案内が出来るところならいいのですが」 おじさまは少し頬をくだけさせていいました。それは山藤会長の心を探っているようでした。 「車を回してもらってほしい」と私に言われました。 「これから渋川の浜に行ってみたくなりました。これは最初からの目的でもあったのです」 「そこへコマを運びましたか、西行法師のゆかりの地」 山藤会長は笑いながら、 「流石です、崇徳帝が流されていた直島を下り小舟で渋川の岸にたどり着いた、そのなぞを説きたいと言う事です」と嬉しそうに言われたのです。 「善通寺に立ち寄り待賢門院様の菩提に参り、崇徳帝の御陵に参拝し、流されていた直島へ、そして海岸にそって下津井、通生の通生院八幡宮の宮の鼻へ、私たちもその道のりを辿りますか」 ホテルの坂を下って、鷲羽山から渋川へ、海岸線にそってのドライブでした。 山藤会長はくらい海をじっと凝視するように見ておられました。それは平安の末期に起こった事を思い興しているように感じられました。 私は、おじさまが書かれた西行法師の物語を読んで多少の知識は持っておりました。 西行法師が渋川の浜を訪れたのは、最初は平清盛が建立した祝いのために厳島神社を訪れその帰りによられていました。清盛と西行法師は鳥羽帝の北面の武士としての同輩で親しくしていたという事でした。 なぜ、渋川へ立ち寄られたのか、そこから対岸の多度津には弘法大師がお生まれになり開かれた誕生寺があります。それなのになぜ、と言う疑問が心に浮かんでいました。 西行法師の立像の前に三人は立って見上げておりました。 「闇、闇は色々の思いを教えてくれる。ここに立ち西行は何を考えなにをすべきかを思ったのか。ここに立つ者には無限にその想像の世界に導き入れてくれる。私は、闇が好きなのです」 会長は頭を垂れて合掌されていました。 「分かります、見えてしまうとそこで思考は制限され現実を見てしまいます。先が見えない不安とそれゆえにます好奇心が入り乱れて深遠な物を探そうとするのではないでしょうか」 おじさまは足元に言葉を落とされました。 「暗闇は、この浜に打ち寄せる潮騒だけの世界でこれからの世界を思う心を与えてくれる。何をこの海に願い託したと言うのか。戦乱の終結か、次に来る時代への平安の思いか、だが、西行には人の世の無常しか感じ取ることが出来なかったように思ってしまう」 「世を捨て仏門へ、そこには彼が思っていた世界はなかった。落胆の後に自由に振る舞い生きることの大切さを感じたのでしょう。西行も山藤さんと同じように華やかな夜の宴より一人打ち寄せるは波の音のなかに未来を見ていたのかも知れません」 「ではなぜ、この渋川に思いを寄せるのか」 「この地から、崇徳帝が幽閉されていた直島はすぐ前です。二人のなかには歌を読むと言う共通点があり、また、待賢門院と言う女性、崇徳帝の母御を女性として想い、母を慕った二人なのです。そんな二人にとっては直島の前に広がる入り江の穏やかな浜は心を整える空間であったように思えるのです」 「この暗闇は、そのようなロマンを含んでいるという事なのですか。私はここに立ち、暗闇の中で自然との対話をしていた、その暗闇にはこれからのこの国の行く末も入っている。華を愛し月を愛で戦乱のなかに生きた西行なら、それらが、穏やかな営みが永劫に続く事をも願っていたと思いたい」 「月の周期と満干も変わらず、吉野の桜も平泉のさくらも限りなく美しいと感じたはずです。彼にとっては総てが美しいものとして心にとどめたと、自然への思いはそれらの魂への憧憬なのかもしれないと思うのです」 「暗闇は未来を問うのには私には必要だった。現実からの逃避、何も見えない世界でありながら総てが見えるように思えた。今日ここにきて、これからのゆく道を感じ取らせてもらった」 「それは・・・」 「今を生きているものには何が不足しているのかと言う事だ、それは、生への愛着や執念ではなく、決断・・・」 「決断、ではこの日本をどのように変えようとされるのですか」 「私は政治家ではない、が、自然を残すために全財産をそれに使い、心を育てるために子供達の国を作る事をここで決めた」 「それはまた・・・賛成です。この国の民度を上げるためには、幼児教育からと言う事ですね。その子供たちに継承させる事を問う事なのですね。この稀有な地球の在り方と存在意義、自然のなかで一体となって生きる、その精神を育ませることなのですね。簡単なことのように思えますが、これは非常に胆力がいることです」 「ある、私はこの老骨を捨てている」 「これから人間が二つの選択をしなくてはならなくなるでしょう。現状維持か、科学を進歩させロボットに何もかも任せるのかと言う。これ以上の新歩と進化を人間に放棄させるということですね」 山藤会長はくらい海に目を据えてじっと見つめていました。 「西行法師は、歌を作る事は仏を作ることだ、と言った。人は何かを起こす時にそれは仏を作ることになるのか…」 山藤会長の言葉はしずかにゆっくりと落ちていました。 御二人は何時までも何時までも暗闇の海を見つめておられました。打ち寄せる波の音だけが静寂を破っておりました。 現実を直視して、未来を見つめ問い続ける。それが大切であることを感じ取りました。今を生きるのではなくこれからをどのように生きるのか、その再生であったのです。 私は砂漠の燈台の灯りになりたいと思っていましたが、私の心に、現実と言う砂漠に迷い込んだ私に、あなたへの思いは砂漠のなかに光りを投げ続ける燈台であった事を思い出させてくれました。砂漠は常に流れていてとどまることのない世界、道標のない砂の海、人の心と同じように揺れ動いているもの、今の世界を暗示している象徴のように思え、そこには燈台の灯りによって将来へと導くものであったのです。 人の心が迷わぬために灯されている明り、それが燈台。 気づかなかったけれど、私の心に灯されたあなたの明かり、それはあなたからの燈台の光だったことに気がついたのです。それは皆が持っている思いなのかも知れません。 暗闇の中に立ち、色々と想像し、その思いが明りだったのです。 「この娑婆には、悲しい事、辛いことが、沢山ある、忘れるこった、忘れて日が暮れりぁ、明日になる」 この言葉こそその明り、私を支えてくれた言葉の明りだったのです。 何時かおじさまが送ってくださった御本のなかに、長谷川伸の「関の弥太っペ」のなかの台詞を書いてくれていました。 その事を日々思い出して暮らしてきました。 あなたは私の燈台、そのように思わせてください。それだけで十分幸せをくれているのですから・・・。 これから忙しくなりそうです。 暗闇からの出発です。 ジャンル別一覧
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